荒井正〈シルクサイクル/絹自転車製作所代表〉
プロフィール

JBT2022

JBT2022 暴風雨の長野県・毛無峠にて

埼玉県生まれ、川越蔵づくりの左官工の血を継いだ兼業農家の次男で大工の父親を持つ、工事が終了する事のない家に住んでいた、暇になると自分の家の工事をして、気が変われば工事半ばにしてリホームしていた、物は作ると自然に教えられた。

サイクルスポーツ創刊2号を見て自転車は作れると認識する、自転車・作る!と思いこんで以来、自転車一筋。サイクルスポーツに出てくる車種は次々に欲しくなるが中学生には無理だ、作りたい自転車は一杯あるのに。

大工を目指し、建築科の有る高校に入るが、ロードレーサーに乗りたくて自転車部に入部、大半は競輪選手を目指す硬派な部で、なぜかロード思考、でも関東優勝してインターハイ入賞した、競技機材の自転車にふれて作りたい病は悪化。

片倉シルクに入社 何処か自転車メーカーに入ると決め、その年は求人の無かった片倉シルクに無理やり入る、面接の時から自転車通勤で往復最短70KM、日が長い時はフルタイム勤務後に奥多摩湖周りで帰った、その為か全日本実業ロードで入賞したが自転車製造を取り競技は早期終了。

幸運にも憧れのオーダー部門レーサー班に配属され、その後マニアシリーズの企画、設計をした、かなり自由にやらせて頂いたが、大手の参入等で競争が激しくなり会社は没落して行く。

見切りを付け独立、自転車販売店を開業しハンドメイド車を製造、練習コースでなじみの有る、鳩山町に工場を作り、パイプ加工の試作をしながら自転車製造していた。
円高が進み日本での製造に未来が無くなり、その頃に躍進して来た台湾メーカーの巨大機械工業に履歴書送ってみた。

GIANT(巨大機械工業)から突然連絡が有って、履歴書出してから約2年経って、日本で販売会社設立がいよいよ実行され、第1号社員として入社した。
設立から5年、赤字続きのままで、自然に上が居なくなり、10年で常務取締役になる。
しかし、好きな物作りは悪化して、オリタタミスポーツ車MR-4を設計、TAIWAN.Excellence AwardやデンマークのIF Award を受賞する。
雪上滑走用具 Bike Board も無理やり設計販売した。

世界中で成功したGIANTは自転車界のNIKEを目指すが、やはり自転車はデザイナーズブランドの方が良いとの思いから、交通事故を期に退社。

2005年 シルク号を名乗り生産再開。絹自転車製作所開設。アイデア満載のオリジナル自転車を次々発表。
2019年 JBT〈ジャパン・バイク・テクニーク〉開催が決まると第1回大会に参戦。総合2位に。
2020年 販売旗艦店としてシルクサイクルオープン
2022年 JBT第2回大会に参戦。再び、総合2位に輝く。