片倉自転車シルク号誕生

日本最初の工場・官営富岡製糸場

 1872(明治5)年フランスの技術を導入し官営模範工場として富岡製糸場が設立された。器械製糸工場としては世界最大級の規模を持つものであった。1893(明治26)年に三井家に払い下げられ、1902(明治35)年・原合名会社、1939(昭和14)年・片倉製糸紡績会社と経営母体が変わった。片倉製糸紡績は最終的に日本国内の製糸場の7割以上を手中に収めていたと言われる。
 片倉工業富岡工場として1987(昭和62)年操業を停止した後、2005(平成17)年、片倉工業より富岡市に寄贈され、史跡「旧富岡製糸場」となっている。

富岡製糸場

製糸工場から航空機部品工場に

 シルク号は片倉が全国各地にあった製糸工場の一つ、福生の森田製糸工場㋲から始まる。
 1873(明治6)年創業した森田製糸工場は1929(昭和4)年、片倉製糸紡績の傘下に入ったが、1943(昭和18)年、生糸生産を中止。片倉製糸紡績本体は片倉工業と改称し、航空機関連の軍需生産に軸足を移していく。それに伴って片倉製糸紡績多摩製糸所も多摩航機製作所と改称。航空機部品を製造するようになった。
 第2次世界大戦に向け多摩地域は立川飛行機を主体の軍需工場になった。

平和産業に転身

 終戦後は平和産業への道を模索した。1946(昭和21)年、片倉工業多摩製作所と改称し、自転車製造を開始した。戦前、大日本自転車(墨田区業平)が東京大空襲で全焼したため復員した技術者は戦火に合わなかった福生の地で自転車生産を開始した。


多くの製糸工場は川沿いの高台に位置する。森田製糸㋲も同じで西側を多摩川を望む高台にあった。羽村の関から流れる多摩川上水の水は工場内を流れる。
敷地の近隣には社宅・寮があり、風呂好きの信州人の伝統か大きな共同浴場もあった。


1948(昭和23)年11月20日最初の競輪競争がおこなわれた。

日本自転車振興会(NJS)による自転車登録。片倉シルクは競輪当初から登録した。

1955(昭和30)年、片倉工業から分離独立し片倉自転車工業設立。

 

低温溶接フレーム
  低温溶接フレーム

低温溶接工法は後に自転車技術研究所の所長になる片倉自転車の技術部長・長谷川氏が取り入れ、ラグレス工法がシルクの定番工法となった。
まだ、スポーツ車用に使えるラグが無い当時、軽量で、ラグに制約されない自由なサイズの自転車が製作可能で有った。