小径オリタタミ自転車の元祖 ポーターシルク
オリタタミ自転車開発
第二次世界大戦中、日本は度肝を抜く開発をしている、潜水艦「伊400」に搭載されたオリタタミ飛行機「晴嵐」、そして小径オリタタミ自転車。
銀輪部隊の装備品ではなく「小犬のように可愛らしい自転車」として平和産業の象徴的な製品となる。
戦後、片倉により量産されポーターシルクとして世界に販売された。
1958年のシアトルでのトレードショーで受賞、すでにUSパテントも取っている。
このオリタタミ自転車の歴史はモールトン(1962年)、ブロンプトン(1975年)、ダホン(1975年)よりはるかに古い。
この写真と、最上段の当方所有のものとは多くの機能・オリタタミ方法に違いがあります。分解・組立には多少の訓練が必要でしょう。
この紹介文ではベトナム戦争とありますが、私の解釈では第2次大戦のために開発されたと考えています。
理由は1948年にパテント申請されているので。
(この頃に連合国側に売るには真実は言えないと思う。)
その後、完全に洗脳された日本人は欧米偏重になり日本発の考案は忘れ去られ、国産のオリタタミは消滅した。
GIANTを越えて
Mike Burrows
LOTUSやWindcheetahの3輪リカンベントの開発者として知られている。彼は私のGIANT時代にGIANT EUからデザイナーとして開発に参画していた。
Mr.diffcultと呼ばれ、薄いエアロ形状にこだわり、車体強度が出ない事が問題となっていた。それで「difficult〈難題〉氏」と『称号』がついた訳だ。彼の偉業としてスローピングフレームTCRが言われるが、これは勝ち組の歴史である。
1997年のTCRの開発当時に台湾での製品開発会議で本人に直接会って「日本ではすでにスローピンロードはあるよ」と言い、サイスポのオーダーメイド別冊のアンタレスロードの写真を見せた、本人はスローピングだけではない薄いエアロフォークと薄いエアロピラーそしてカーボンスポークの車輪の全体がコンパクトフレームだと言っていたが、今となっては残っているのはスローピングフレームだけと言える。
日本人は自分の歴史に自信を持ち、主張しないといけないと考える。
この件をアンタレスのビルダーである山岸健司氏に伝えると「マウンテンバイクはスローピングになってきた時代・当然ロードもスローピングにした」と答えを頂く。
その後、グローバルモデルの片持ちオリタタミ自転車ハーフウェイがMikeのアイデアで開発された。それに対抗して製作したのがMR-4である。最初はグローバルモデルがあるのにそんな物は不要と言われたが、日本で試作し、勝手に量産した。この背景にはシルク号のオリタタミ車のルーツが後押しした。
おかげさまでIFアワードなどのデザイン賞をいただきました。
1984年開発のオリタタミ24インチ車
当時流行した形状で折り畳み、MR-4の基礎になるモデル、down tubeを2本にしたので普通に乗っていました。 まだSILKではなくARAI.